2004年 IRONMAN LANZAROTE 紀行文

5/17(月):いよいよ憧れのランザローテ出発!

定時に仕事を切り上げ、18時過ぎに会社の隣のヒルトンホテルにて香織(妻)と合流。そのままタクシーで近鉄名古屋駅へ。
19
時ちょうどの近鉄にて難波経由で南海特急ラピートに乗り換えりんくうタウンへ。名古屋から約3時間の移動で関空のANAゲートタワーホテル着。
旧友の松本は夜勤でホテル内にいるものの、電話のみで礼を言う。極狭と聞いていた部屋は十分な広さがあり、改めて松本に感謝。浮いたお金で30分マッサージをお願いした。バタバタして2時過ぎに就寝。



5/18(火):関空より海外脱出

6時前に起床、朝食を食べ7時過ぎにチェックアウト。そのままシャトルバスで関空へ。

8時前には送っておいたバイクをピックアップし、KLMカウンター近くへ。そして今回の旅のメンバー、徳島の鳥海さん、大阪の岸部さん・北村さんと合流。(9時過ぎに名古屋の菅原さん到着)交渉慣れしている岸部さんにBIKEの超過料金交渉をお願いしたが、結局1万円ちょっと(80ユーロ)の料金を払いギリギリで機上に。手荷物検査や出国審査もVIPのようにあっという間に過ぎていた。
12時間のフライトでオランダ・アムステルダム着。ここで成田発の片岡さんと合流。やはり成田でも同額の超過料金を取られたらしい、厳しくなっている。トランジットではほとんど待たずにスペイン・マドリッド行きの飛行機へ。2時間程度のフライトでマドリッド着。アムステルダムと違いこじんまりしたイメージ。
マドリッドでピックアップされるはずの荷物は、最終目的地のランザローテまで手配済みでピックアップできず、そのままタクシーで市内のホテルへ。渋滞で30分以上かかり、25ユーロ。
ホテルは格安の割りにはまともなホテルでホッとした。夕食は近くの日本食レストランで済ます。チャーハン5.5ユーロは安い。
この日は時差ボケで24時間起きていたことになり、シャワーも浴びずに就寝。


5/19(水):マドリッドからランザローテへ

夜、時差ボケで何度も目を覚ましたが、結局4時頃起床。7時半からの朝食は、パン、ハム、チーズの簡単なものだったが十分おいしかった。
朝食後、散歩を兼ねて皆でホテル近くを散策。マイヨール広場等をウロウロ。この街、あまり観光化されていないな、というのが正直な印象。あまり長居する価値が無いかも知れない。

10時にはホテルへ戻り、チェックアウトしてタクシーで空港へ。(20分・16.55ユーロ)チェックイン後にカフェで一服。生ハムのフランスパンはおいしかった。機内は、昨日のアムスからの機より広く感じたほど。3時間弱のフライトもアッという間だった。
心配していた荷物とバイクは、ランザローテの空港に無事届いていた。一安心。同じ便に乗っている筈の鈴木さんが居なかったことを除けば、順調にランザ入りができた。
そのまま迎えのバスでホテルへ。所要時間15分程度。島の雰囲気は、まさしく砂漠に近く、乾燥地帯である。しかし街に着くと一変してリゾート地へと変わるから不思議。一面白い建物と青い空のコントラストが素晴らしい!

ホテルもキッチン付きリビングと寝室があり、テラスもとても広く使いやすい。早速、大瀧詠一の「A LONG VACATION」を聞きながら、夕方にはバイクを組み上げる。夕方、みんなでホテル周辺の散策に。小さなみやげ物屋やレストランが建ち並ぶリゾートの街並みが広がっており、改めてランザローテに来た事を実感した。

ホテルの宿泊にセットの夕食(バイキング形式)を食べている最中に、最後のメンバー鈴木さん登場。ロンドンからの飛行機の遅れとは災難だ。


5/20(木):レース地は最高のリゾート地!! 

起床後、7時にスイム会場へ試泳に向かう。ホテルから徒歩5分、ホテルのプールを抜けてビーチへ出ると、そこがもうスイム会場だった。水温は1819度の感じ、結構冷たい。フルウェットで何とか泳ぐ。大変透明度が高く、波も無い泳ぎやすい海だ。時折、魚の姿も見える。

水から上がっても寒く、一同ウェットを着たままホテルのプールへ直行。そこのシャワーで着替える。

朝食後、インターネットを使うため同系列の隣のホテルへ。GRICのネームサーバーの設定を改めて確認しようとしたが、結局分からず。午前中は街並みやバイクの具合を確認するため、バイクで軽く走ってみる。

きれいな景色を写真に収めていると、ノルウェーからきた選手Ove(ウバ)が話し掛けてきた。お互い片言の英語ながら、アイアンマンへの思いは同じで話が弾む。43歳で今回6回目のアイアンマンとの事。フランクフルトのアイアンマンがいいと、しきりと薦めてくれた。彼とは写真を何枚か撮り、別れた。その内彼のHP(http://home.no.net/ove1no)に掲載されることだろう。

 

午後は、選手登録・競技説明会・パーティーのため、クラブ ラサンタへ。(タクシーで30分弱・25ユーロ)。まずは、選手登録。持参したJTUの期限切れのカードが有効だったかは分からないが、ワンデーライセンスフィーの追徴金は無し。いつも通り選手登録を行っていたところ、香織の様子がおかしい。各国から集まっている選手を目の当たりにし、既に大会の雰囲気に飲み込まれたらしい。「本当にアイアンマンに来たんだね」と感動して涙ぐんでいる。自分では忘れかけている大切な気持ちを、彼女から教えられた。やはり大変なことをしに来ているのだ。その後、英語での説明会。レースディレクターのカネツ氏が丁寧に説明してくれていた(と思う)。パーティーまで時間があるため、ラサンタ内をウロウロ。特にプール周辺はきれいで、トップレスの女性の姿もチラホラ。

 

ラサンタ内で時間を潰していたが、パーティーの始まりも遅いことからパスし、タクシーでホテルへ戻る。無駄な疲労をためずに済んだ。


5/21(金):レース前日ものんびり

レース前日と言えども、トラバックとバイクの預託は15時から。今日は、ゆっくり過ごす日とする。午前中は香織と街をぶらついてみる。一般の観光客が多いのか、いかにもアイアンマンという人にはあまり出くわさない。

写真は街にあった不動産屋の物件の一つ。プールつきのいい物件だが、お値段も5千万円以上と結構高い。岸部社長にお土産に買ってもらい、みんなで使おう!(社長、ヨロシク!)




バイク預託で、昨日のノルウェー人Oveに会う。奥さんも紹介してくれたので、日本から応援グッズとして持参した「根性ハチマキ」をプレゼントした。

英語での説明には、相変わらず苦労する。

この日は明日の早起きに備え、早目に就寝。



5/22(土):いよいよレース本番!

レース当日、3時半に起床。4時に赤飯と五目ご飯に味噌汁の朝食を食べ、5時にホテルを出て、食料やボトルのセットへ。徒歩5分でスタート地点へ行けるのは、嬉しい。このホテルで正解!一度ホテルに戻り再度6時にホテルを出て、スタート地点へ。一番右のバトルに巻き込まれない位置を確保し、皆スタートしたのを見届けてからゆっくりと入水。試泳しているとは言え、冷たい。やはり18度程度の水温か?
スイムコースは、長方形の四角を2周回する。最初の160mのブイを曲がる頃には、底が見えない深さになるが、どこまでも青く透明度の高い海で気持ちいい。波や流れもほとんど感じない。時折見える魚の群れが、レースの緊張を和ませてくれる。
コースロープもあり波も無く箱庭のように泳ぎやすいスイムだった。ほぼ予定通り1時間21分でスイムを終え、トランジットのテントへ。さすがに体は冷え切っており、凍えながら着替えを行い、ボランティアに日焼け止めを塗ってもらう。
バイクは日本の佐渡ケ島程度の大きさを1周するコース。世界中のアイアンマンの中でも、バイクコースのハードさでは有名。今回のポイントは、いかにこのバイクを克服するかにかかっていた。
走りだしてすぐに街を抜け、一面茶色の広大な景色へと変わる。緯度はアフリカと変わらないので砂漠、または火山の島らしくごつごつした熔岩が広がる。
アップダウンは予想していたよりも大きくなく、大きな丘を越えていくイメージだった。調度アイアンマンカナダのよう。風も想像以上に強くなく、天候も概ね曇り。完走できる条件は揃っていた。但し、計算外だったことは路面の荒さだった。南アフリカやニュージーランドも荒れているが、これほどではない。最後のピークからの下りは、一気に標高が下がるダイナミックな道なのに、ハンドルを押さえ込むのが精一杯で、バイクにしがみついているようだった。
また、このコースは景色が大変素晴らしい。砂漠、熔岩地帯、きれいな海、白壁の街並。どんどん変化していくその景色に、最後まで飽きることがなかった。
バイクも途中制限時間が気になったが、これもほぼ予定通り8時間でクリア。しかし、他のアイアンマンより11.5時間は余計にかかっている。ここのコースはやはりバイクがポイントだった。
さぁ、気を取り直してランスタート。
ランは1周10キロ強を4周してくるコース。片道5キロちょっとで折り返しなので、距離間が分かり易く、助かる。
1周1時間半、片道45分でコンスタントに行ければ、6時間で終わる計算。最初から欲を出さず歩きながら進む。1周目の折り返しで50分位かかり、その後も走るより歩く時間が長くなり不安。とにかくバイクでボロボロなった足が、何とも言うことを聞いてくれない。1周目折り返し後にスタート地点に戻る途中、岸部さんと擦れ違う。
「写真撮っていこう。こんなん急いでもしょうがないわ、時間もたっぷりあるし、今日はゆっくり行こうや」と声をかけてくれた。自分でも分かってはいたが、正直この言葉にかなり救われた。その向こうには、使い捨てカメラを持った北村さんの姿が・・・。
また、この時に岸部さんが持っていたサロメチールで動かなかった足をマッサージ。これがびっくりする程効いて、今回のレースの完走を確信できた。
その後も岸部さんと擦れ違うたびにサロメチールを塗り込み、その度に足は回復していた。次回のアイアンマンでは、今回の教訓を生かしサロメチールを必ず持参することとしよう。
2周目に入ってから、いつもの吐き気も激しくなってきたため、パンシロンチュアブルのお世話になる。バイクスタート時も口にしているので、本日2個目。これもその後の体調回復に大きく貢献してくれた。
3周目に入る頃には、周りの選手も少なくなっており、後続が数えられる程度となっていた。しかし、全く焦らない。とにかくこのペースさえ守れば、制限時間の夜12時迄には帰って来られるのだから。残りの距離が短くなるに従い、どんどん気持ちが楽になり、4周目はタイムを気にせず楽しみながら走れた。沿道の観客の応援も最後まで絶えることなく、むしろ4周目が一番声をかけられた程。通りの向こう側のレストランのテラスからも応援の声が飛んでくる。それに一つ一つ応えながら進むのが、また楽しい。海岸でBBQをしている人からは、「チョリソを食べていかないか?」と誘いを受け、ひと口。これがまたおいしい。エードにあるオレンジやコーラ程度しか口にせず、それさえも飽きがきて口にしていなかったためか。また「ひと口だけじゃなく、もっと食べていけ」と走って追い掛けてくる応援は本当に嬉しい。この頃で自分の後ろにいる選手はわずか14人。
4周目の折り返しの時は、2214分だったため、16時間内のゴールは難しいだろう、と思っていたが、気付くといいぺースでゴールへ近付いていた。時計に目をやると2255分。行けるかも知れない、と思った瞬間ゴールヘ向かい全力で走っていた。
そして16時間待ちつづけていた香織とゴール!夕イムは15時間5916秒、今までのアイアンマンのワースト記録を1時間以上更新した。

ゴール後、初めてのアイアンマンを目の当たりにした香織は、僕のゴールを見届け安心したためか、泣き崩れてしまった。レースディレクターのカネツさんからも祝福され、長い1日の終りを実感した。

 その後、マッサージテントで性感マッサージのような怪しい手つきのマッサージを受け、ホテルに戻る。普通は、レース後のホテルまでの道のりが長く感じられるものだが、ゴール前がホテルというこのロケーションは最高だった。

部屋に戻り風呂に入り、そのまま就寝。香織も疲れ切っていて、二人とも意識を失うようにベッドに落ちていった。







5/23(日):レース翌日はのんびりと

 早朝5時、気持ちのいい朝を迎えた。やっと終わった安堵感で一杯の大好きな瞬間。昨夜は食べ物も喉に通らず、そのまま寝てしまったため、とにかく空腹。持参した鮭粥を食べ、元気になった。

 朝食、胃の痛みはあるものの、そこそこ食べられた。今回残念ながらバイクでリタイヤした美和ちゃんと鳥海さんも元気そうでホッとした。やはりここのバイクコースはきついよ〜。

 部屋に戻り洗濯とバイクパッキングを行う。自分のバイクを改めて見てビックリ!なんとタイヤが変わっている!よく見ると、ホィールは自分のものでホッとしたが、タイヤだけが器用に換えられていた。新たに装着されていたタイヤもビットリアの決戦用のものなので、まぁ良しとしよう。

 

 ホテルのショップでいくつかの土産物を買いあさり、昼からみんなでパエリアを食べに行く。海岸線を歩いて海の見えるレストランへ入ったが、今日は天気がいい。レース当日こんなに天気が良かったら、暑くてばてたことだろう。昨日が曇天で助かったよぉ。

 午後はビーチに繰り出す。ゆっくり泳ぐのは、実はこちらに来てから初めてのこと。香織の希望で、ホテル隣にある岩陰のトップレスビーチにやって来た。ここへ来ると半数近くの女性がトップレスでいるが、何故かそれが自然になっている。やっぱりリゾートだなぁ。海水は相変わらず冷たく、20度程度か?一緒に海に入った香織は冷たい海水が苦手で、キャーキャー言ってた。そんな海でもちょっと泳ぐと綺麗な魚が一杯見える。アー、デジカメの防水ケース持ってくるんだった、後悔。


 夕方からアワードパーティーの会場に移動。タクシーで20分程度。(12ユーロ)昨日走ったバイクコースを逆走していくため、その景色をしっかり目に焼き付ける。改めてそのすごい光景に驚く。(あんな山の上まで行ったんだぁ)

 パーティー会場前では写真屋さんが昨日のレース写真を売っていた。1枚5ユーロは日本と比べても高くないね。バイク、ラン、ゴールの3枚を購入。一番乗りで会場に来ていたこともあり、パーティーではいい席をキープできた。お洒落なレストラン、といった感じで雰囲気は良かったが、ひたすら長く感じた。我々が一番楽しみにしていた昨日のレースビデオも5分程度の編集で物足りなかった。表彰の時には既に眠りに落ちる日本チームの面々。パーティーからの帰りは、辺りが真っ暗で、とっても幻想的な雰囲気にまた感動した。


5/24(月):感動のフラメンコ!!

今日は日本へ向けて帰国の日。5泊したFariones Hotelとも今日でお別れ、本当にいいホテルで、アイアンマンのホテルとしては理想的なホテルだった。

朝食後、名残惜しくホテルのプールへ。プールサイドで横になり、最後のリゾート気分を味わう。アイルランドから来た、という隣にいたファミリーとしばし会話をして部屋へ戻る。

10時過ぎにホテルをチェックアウトし、空港へ。申し込みが遅かった僕たち2人と美和ちゃんだけ違う便で、他の人達とはしばしのお別れ。出発まで時間があり、3人で空港のカフェで時間を潰す。マドリッドへ着いてからは、空港でバイクが出てこなくて一瞬焦ったが、それ以上に焦ったのは空港預かりにする予定のバイクケースが一杯で置けなかったこと。これは予想外で、結局タクシーに乗せてホテルまで運ぶ羽目に。そして悪いことは続くもので、天候は気がつくと激しい雷雨となっていた。しかし、このタクシードライバーは片言の英語も話すため会話もでき、結構面白い。「エーッ、ランザローテに行ってたのかい?あそこはアフリカだからね、小麦色によく焼けたね」話も弾んだため日本から持参のカリカリ梅をあげたら、しっかり食べてくれた。大丈夫なのかな?


ホテル着が20時頃となったが、ちゃんと他のメンバーと合流。皆で最後の夕食を食べるため、近くの生ハム専門のレストランへ。先ほどのタクシー運転手もご推奨の店で、メニューも生ハム以外、他のスペイン料理も豊富。味もとても美味しく、スペイン滞在の中で一番印象に残った食事かもしれない。 


その後、本場のフラメンコを見るため移動。ウロウロしながら目的の店にたどり着いた。決して広くは無い店内は、既に満席状態だが、何とか店の一角に陣取りしばし初めての生のフラメンコを楽しむ。

   

せっかくスペインへ来ているのだから、というついでの気持ちで来たのだが、一言で言うと“圧巻”だった。間近で生のステージを見るのはこんなにも迫力あるものか、と大した予備知識もなく見ていても感動できた。また、岸部社長のアドリブのセリフもメンバーに大受け、夜中12時過ぎまで楽しい時を過ごした。


5/25(火):懐かしの日本へ

夜遅く寝て朝は早く起きるパターンは既に定着した。今朝も7時半には荷物をまとめて、朝食を10分で済ませタクシーで空港へ向かった。

何日か一緒に過ごした鈴木さんは、この後一人でスペインを観光されるが、空港まで見送ってくれた。

マドリッドからオランダ・アムステルダムで飛行機を乗り継ぎ、ここが最後の買い物ポイント。残っていたユーロがわずかなお土産に消えていった。成田へ向かう美和ちゃんとはお別れもできず、慌しく関空行きの便へ。



関空着後は、鳥海さん・岸部さん・北村さんと別れ、菅原さんと香織と僕の3人で名古屋に戻った。

翌日、関空から送ったバイクも戻ったが、特に大きなトラブルは無かった模様。8日間の長旅だったが、大変思い出深いものとなった。特に初めてアイアンマンを見た香織にとっては、忘れられないいい経験になったようだ。



8

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送